感受性に慈雨を

その他

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

『自分の感受性くらい』 茨木のり子

この詩は1977年発表された
詩人 茨木のりこさんの「自分の感受性くらい」です。
私にとっては宝物のような詩。

私がこの詩に出会って何年経ったでしょうか。
何で読んだのかも、もう忘れてしまいましたが
初めて読んだ時の衝撃は忘れません。

私に往復ビンタをくれた詩です。

仕事はフルタイム。家事育児はワンオペ。
PTA、地域役員、子供の習い事の役員。
全部全部一人で背負って、一人でキリキリしていた頃。

毎日が次々と湧いてくる問題に忙殺され、
その問題解決もままならず苛立っていた頃。

当時、少なからず問題を他責思考で捉えがちになっていました。
「あの人のせい」
「家族のせい」
「なんで〇〇してくれないの」
「私はこんなに頑張っているのに」
思っても摩擦が起きないように押し殺す。
思考も感情も擦り切れ、固くなっていた頃。
狭い世界、狭い思考。

感受性が枯れたことにすら気付かない。
気付かせてくれたこの詩は、
ひん曲がった私の心根に喝をくれました。
真夏の夕立のように次々と叩きつけられる厳しい言葉の数々は、
自分の心を見直すきっかけとなりました。

そんな日は何とか乗り越えて、今ではのほほんとしていますが。
この詩は私にとっての戒めです。

では、また。

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